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名古屋地方裁判所 昭和31年(行)3号 判決

原告 神戸鉱

被告 名古屋法務局長

訴訟代理人 宇佐美初男 外二名

主文

原告の第一の請求を棄却する。

同第二の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は

第一、別紙目録記載の不動産につき、原告に対してなした登記官吏の処分に対する異議の申立を却下する旨の昭和三十年十二月十日付決定を取消す。

第二、被告は当該登記官吏に対し、別紙目録記載の不動産に関し、名古屋市南区笠寺町五ノ割四十番地訴外井上民三郎の申請を受理して、同人に対してなした土地につき昭和三十年八月三十一日受付第二三八四五号、原因同二十九年十一月二日和解、家屋につき同三十年九月十九日受付第二一二八四五号、原因同年二月一日代物弁済の各所有権移転登記を抹消し、土地につき原告の有する所有権移転請求権保全仮登記(同二十九年十月十二日受付第三〇〇〇一号、原因同年同月十一日売買予約)及び所有権移転登記(同二十九年十月二十一日受付第三一〇四一号、原因同日付売買)に対する同三十年八月三十一日受付二二一三三号同二十九年十一月二日和解を原因とする各抹消登記処分、並びに家屋につき原告の有する所有権移転登記(同二十九年十月二十一日受付第三一〇四一号、原因同日付売買)に対する同三十年九月十九日受付第二三八四五号、同年二月一日代物弁済を原因とする抹消登記処分をそれぞれ取消し、原告の有する右各登記を回復せしめ、かつ右井上民三郎の各登記申請を却下するとの決定をせよ。

第三、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

(一)  別紙目録記載の不動産は登記簿上名古屋市北区金城町三丁目二十九番地訴外河原崎ふじ子が所有名義人であつた。原告は家屋については昭和二十九年三月十五日付売買予約を原因とし、同年六月四日土地について同年十月十一日付売買予約を原因とし、同年同月十二日、いずれも所有権移転請求権保全の仮登記をうけた。一方名古屋市南区笠寺町五ノ割四十番地訴外井上民三郎は右各不動産につき、その当時の所有名義人であつた右河原崎ふじ子に対する譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分を禁止する旨の所謂処分禁止の昭和二十九年六月二十八日付名古屋地方裁判所の仮処分命令をうけ、同年七月一日その旨の登記をうけた其の後原告は右各不動産につき昭和二十九年十月二十一日売買を原因として同日ともに所有権移転登記をうけた。尤も該所有権移転登記は昭和二十九年十月二十一日付売買予約の完結を原因とし右仮登記の本登記申請をなしたものであつたが、登記官吏は誤つて右の移転登記をなしたものである。

(二)  然るに一方訴外井上民三郎は名古屋地方裁判所において昭和二十九年十一月二日訴外河原崎ふじ子との間に成立した、後者は前者に対し一定期日に一定金員を支払うべく、若しこれが支払遅滞したときは右各不動産の所有権移転登記申請手続をなす旨の調停調書正本のみに基き、単独で原告のための前記各登記の抹消手続申請をなし、同時に同書記載のとおりの各移転登記手続申請をなしたところ、当該登記官吏はこれが各申請を受理して、原告の右土地に対する移転請求権保全仮登記及び原告の所有権移転登記並びに右建物に対する所有権移転登記の各抹消登記をなし、かつ右井上民三郎に対し右各不動産の所有権移転登記をなした。

(三)  しかし、右登記官吏のなした各登記処分は次の理由によりすべて違法の処分である。即ち登記は法律に別段の定ある場合を除くほか、当事者の申請又は官公署の嘱託あるに非ざればこれをなすことができないのは、不動産登記法第二十五条に規定するところである。従つて現に登記簿上本件各不動産の名義人となつている原告の承諾書又はこれに対抗しうべき裁判の謄本を添付することなく、利害関係人単独で原告名義の各登記を抹消しえないのである。また本件仮登記の抹消については、不動産登記法第百四十四条は「仮登記ノ抹消ハ仮登記名義人ヨリ之ヲ申請スルコトヲ得、申請書ニ仮登記名義人ノ承諾書又ハ之ニ対抗スルコトヲ得ヘキ裁判ノ謄本ヲ添付シタルトキハ登記上ノ利害関係人ヨリ仮登記ノ抹消ヲ申請スルコトヲ得」と規定し、又一般の登記抹消に関し同法第百四十六条は、「登記ノ抹消ヲ申請スル場合ニ於テ其抹消ニ付キ登記上利害ノ関係ヲ有スル第三者アルトキハ申請書ニ其承諾書又ハ之ニ対抗スルコトヲ得ヘキ裁判ノ謄本ヲ添付スルコトヲ要ス…」と規定している。然るに訴外井上民三郎が当該各登記手続の申請書に添付し提出したものは、同人の訴外河原崎ふじ子に対する前記調停調書のみにして、原告の承諾書又はこれに対抗することを得べき裁判の謄本を添付したのではないから、原告名義の各登記を原告の申請によらずして右井上の単独申請により抹消したのは違法である。

(四)  よつて原告は昭和三十年十一月四日被告に対し、当該登記官吏の違法な処分の是正を求めるため、異議の申立をなしたところ被告は同年十二月十日異議の申立を却下する旨の決定をなし、原告に対してその旨の通知をなした。

そこで原告は被告に対し、右決定の取消を求めると共に訴外井上民三郎の登記申請を受理してなした各登記処分を取消すべき決定をなすよう本訴請求に及んだと述べ、被告の主張に対し、かりに原告名義の所有権移転登記及び所有権移転請求権保全の仮登記が先になした訴外井上民三郎の所謂処分禁止の仮処分に対抗しえないものとしてもかかる対抗力の有無については、形式的審査の権限のみ有し実質的審査権のない登記官吏のよく審査判断しうるところのものでないからそれが審査をなしうることを前提とする被告の主張は理由がないと主張し、

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、本案前の答弁として原告請求にかかる第二の訴について、原告は被告に対し、当該登記官吏をして原告主張の訴外井上民三郎名義の各登記を抹消し、原告名義の抹消にかかる各登記を回復し、右井上の各登記申請を却不する処分をなすべき決定をなすよう被告に対し訴求するが、憲法上三権分立の建前から裁判所としては行政官庁たる被告に対し、このような行政上の行為をなすべきことを命ずる裁判をなすべき権限を有しないからこの部分については不適法の訴として却下さるべきであると述べ、本案の答弁として、被告指定代理人は別紙目録記載の各不動産についての登記上の記載が原告主張どおりであること、当該登記官吏が原告主張にかかる訴外井上民三郎の各登記申請を受理してそのとおりの登記をなしたこと、原告が昭和三十年十一月四日被告に対し、該登記官吏の処分に対する異議の申立をしたけれども、被告は同年十二月十日付を以てこれが却下の決定をなしたことはいずれも認めるが、その余の主張は否認する。原告が本件各不動産についてなした所有権移転登記申請は一般の売買に因る移転登記申請であり、先になされた移転請求権保全仮登記につき売買予約完結に因る本登記申請としてなされたものでない。また当該登記官吏のなした各登記処分はすべて適法になされたものである。即ち訴外井上民三郎は昭和二十九年六月二十八日名古屋地方裁判所において本件係争不動産につき、その所有名義人たる訴外河原崎ふじ子に対し所謂処分禁止の仮処分決定をうけ、同年七月一日同裁判所の嘱託によりその旨の登記をうけ、これが仮処分の執行を了したところが、原告は右仮処分登記の後たる同二十九年十月十二日本件土地について売買予約による所有権移転登記請求権保全の仮登記をなし、かつ、同二十九年十月二十一日本件各不動産につき右河原崎との間に同日成立した売買契約に因り、その旨の所有権移転登記をなした。然るに井上民三郎は名古屋地方裁判所において昭和二十九年十一月二日本件仮処分債務者たる河原崎ふじ子との間に繋属中の仮処分異議訴訟事件について調停成立し、河原崎ふじ子は債権者たる井上民三郎に対し一定期日に一定金員を支払うこと、もしこの金員の支払を遅滞したときは債務者はその所有にかかる本件不動産につき債権者に移転登記手続をなすことを各約束したが、右河原崎は右調停条項を履行しなかつたので、債権者井上民三郎は右調停調書に基づいて自己の為に所有権移転登記手続申請を土地については昭和三十年八月三十一日、家屋については同年九月十九日にそれぞれ申請すると同時に原告の前記各登記の抹消登記の申請を単独でなした。そこで当該登記官吏は右申請書及び添付にかかる調停調書を審査したところ、仮処分権利者たる井上民三郎に対し同債務者河原崎が本件土地家屋の所有権移転登記をなすべき調停条項であること明らかであり、かつ登記上の記載自体より、原告の本件土地に対する所有権移転登記は請求権保全仮登記及び本件土地家屋に対する各所有権移転登記本件仮処分に違反するもので登記上明らかに禁止されている事項にあたる登記であることが明らかであつた。ところで不動産に関する所謂処分禁止の仮処分は係争不動産に関する仮処分権利者の将来の執行の保全を目的とするものであるから、仮処分権利者に対する関係において右権利保全と相容れない範囲において該仮処分に違反する債務者の処分行為はこれに対抗できないとすることは確定せる判例理論であつて、かかる理論の適用の結果、不動産について処分禁止の仮処分の登記記入後、仮処分債務者が同債権者以外の第三者に所有権移転をしても仮処分債権者はこれらの者に対抗しうるので、後日本案訴訟において仮処分債権者に有利の判決がなされ或は和解、調停等が成立すれば、当然これらのもののなした仮処分債権者の権利保全と相容れない登記は債権者に対する関係においてすべて無効の登記となるのであり、かかる無効の登記であることは登記簿上の記載自体より明かである。而してこのような場合には仮処分債権者において、これに違反する登記を抹消するのには一々これらの登記名義人の承諾又はこれに代る判決なくとも単独にてこれを抹消すると同時に自己の権利の登記をなしうるものである。蓋し仮処分債権者の権利が本案等で終局的に確定されたのにもかかわらず、該権利の登記をなさんとする場合においてもこれら無効の登記の存在するため、これをなしえず、かつこれが抹消をなさんとするためには一々訴訟を提起しなければならないとすることは、折角与えられた仮処分債権者の権利を直ちに奪うに等しいものであり、一般に登記が共同申請を建前としているのは、登記の真正を保証するためであり、従つて登記の形式、添付の書類等を審査して事がしかく明瞭で必然的な答の出る場合には、登記の真正を害することもないし、又第三者に不測の損害を加えることもない。本件の場合においては、右にいう仮処分権利者たる訴外井上民三郎は本件不動産につき前述の如き調停調書に基きこれが所有権移転登記申請をなすに当つては、申請と同時に原告の前記所有権移転登記及び所有権移転請求権保全仮登記を単独にて抹消しうるものと謂うべきである。原告援用にかかる不動産登記法第百四十四条及び第百四十六条の各規定は本件の如き事案に該らないものである因に昭和二十八年十一見二十一日民事甲第二一六四号法務省民事局長通達に「甲所有の不動産につき、仮処分権利者乙のため譲渡その他一切の処分禁止の記入登記に次いで丙に対する所有権移転の本登記がなされた後、甲から乙への所有権移転の登記を申請する場合には、その前提として、又はその申請と同時に、甲から丙への所有権移転の登記のまつ消を申請することを要する。

前項の場合において甲から丙への所有権移転の登記のまつ消を申請するには甲から乙への所有権移転の登記の申請と同時に申請する場合に限り、乙単独で申請することができる。この場合には、登記所は不動産登記法第四十七条第一項但書の規定により同一の受付番号をもつて登記することを要し、若し甲から乙への所有権移転の登記の申請を却下すべきときは、甲から丙への所有権移転の登記のまつ消の申請をも却下すべきである。」と謂うのもかかる理由に基づくものと看ることができるので、当該登記官吏のなした各登記処分は原告主張の如く不適法ということができないのでこれが異議申立を却下した被告の処分は適法のものというべきである。又かりに当該登記官吏のなした本件各登記処分に原告主張の如き瑕疵あるものとしても既に一旦なされた本件各登記処分は不動産登記法第四十九条第一号、同条第二号に該当しないものであるから当該登記官吏に対する異議の申立をなしえないものである。以上何れにしても原告の請求は失当であると述べた。

証拠〈省略〉

理由

訴外井上民三郎が同河原崎ふじ子所有名義の別紙目録記載土地家屋について、昭和二十九年六月二十八日名古屋地方裁判所において譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分を禁止する旨の所謂処分禁止の仮処分命令をえ、同年七月一日その旨登記の記入をなしたこと、原告が同二十九年十月十二日本件土地について売買予約に因り所有権移転請求権保全の仮登記をなし、かつ、同年十月二十一日本件土地家屋について右河原崎より売買により所有権移転登記をうけたこと、右井上が右河原崎との間において同二十九年十一月二日成立した調停調書正本のみを添付して単独にて、所轄登記所に対し、右仮処分登記後の原告の本件土地に対する所有権移転請求権保全仮登記及び本件土地家屋に対する、各所有権移転登記の抹消を申請すると同時に、右河原崎から直接本件土地家屋について所有権移転登記申請をなしたところ、当該登記官吏は右各申請を各同受付番号を以て受理し、申請どおりの各登記処分をなしたことは当事者間争ない事実である。ところで成立に争ない甲第一、同第五号証乙第一号証の一、乙第四号証の二を綜合すると、訴外井上民三郎は訴外河原崎ふじ子に対し、本件土地家屋について所有権あることを主張し、同人に対しこれが所有権移転請求権を保全するため名古屋地方裁判所に対し本件処分禁止の仮処分申請に及び、その旨仮処分命令をうけこれが登記を経由したこと。及び右仮処分を不服として右河原崎は右裁判所に仮処分の異議申請をなしたところ、右異議訴訟事件は担当裁判官により調停に回付され、右調停手続において、右河原崎は昭和二十九年十一月二日仮処分権利者たる右井上の前記権利を承認したうえ調停成立したこと、右調停の内容は右河原崎が金四十万円については同年十一月二日金十万円を支払い、残額は同年十一月十五日、同年十二月末日、同三十年一月末日限り各十万円を右井上に支払うこととし、これが履行をなしたときは本件仮処分の執行取消をうけるがもし右支払を遅滞したときは本件土地家屋について右井上に対し所有権移転登記手続をなすとの趣旨の調停であつたことを各認めることができる。従つてこの事実よりすれば訴外井上は本件土地家屋について所有権移転登記請求権を保全するため本件処分禁止の仮処分命令をえ、後日右権利について調停をなし、訴外河原崎は右井上に対し、究極的にこれが移転登記手続をなすことを応諾したということができる。

ところで原告の有する本件土地にかかる所有権移転請求権保全仮登記及び本件土地家屋にかかる所有権移転登記はすべて訴外井上民三郎の右処分禁止の仮処分登記後の登記であること明らかな事実よりすれば、原告の有する各登記は仮処分権利者たる訴外井上に対する関係においてはこれに対抗しえない無効の登記であり、同人は右各登記を無視しうるものということができる。蓋し、仮処分僚務者が処分禁止の仮処分命令に違反し、これが目的物についてこれと矛盾抵触する任意処分をなし、その旨の登記申請がなされた場合においては、右の仮処分が仮処分権利者の将来の執行を保全するための暫定的一時的措置にしか過ぎないこと、及び右仮処分権利者以外の第三者に対しては右任意処分の効力を有効に主張しうるものであること等から、登記官吏は右仮処分の禁止条項に矛盾抵触する登記の申請があつた場合と雖もこれを受理し、その旨の登記処分をなすべきものであるが、右仮処分登記が有効に取消されない限り、仮処分の効力として仮処分権利者に対する関係においてはこれに対抗しえない任意処分であり、その旨の登記も当然仮処分権利者に対する関係においては当然無効の登記であるということができるからである。従つて訴外井上は前記調停調書正本に基き、訴外河原崎から直接同人を登記義務者として本件土地家屋について所有権移転登記手続申請をなしうるものと謂わねばならない。然し乍ら右登記申請をなすに当り現在の所有名義人が登記簿上原告名義となつている関係でこれを抹消しておかないでそのままとして前名義人たる右河原崎から右井上に移転登記をなしたりすることは権利関係を如実に反映すべき登記簿の取扱として不都合であるから(不動産登記法第四十九条第六号参照)訴外井上としては原告名義の各登記を予め抹消するか少なくとも自己に移転登記申請をなすと同時にこれを抹消してのみ、登記簿上の変更をなしうるものとなすのがよく制度の目的に適すると考うるべきであるところ、本件の場合において、果して右井上は自己の権利の登記をなさんとしてこれと矛盾抵触する原告の各登記を抹消するあたり原告の承諾又はこれに代る判決を得ない限りこれが抹消をなしえないものとすべきであろうか。なるほど不動産登記法第二十五条、同第二十七条、同第百四十四条は不動産登記簿が各当事者間の権利関係を如実に反映し、これが公示をなすものであり、その真正を保持するため、登記権利者が単独で判決又は相続に因り登記申請をなしうる外は原則として共同申請を建前とし、かつ仮登記を利害関係人単独で抹消申請するについては、仮登記名義人の承諾又はこれに対抗することのできる裁判の謄本の添付を要するとなすことは原告所諭のとおりである。しかし原告の有する本件土地についての所有権移転請求権保全の仮登記及び本件土地建物についての所有権移転登記はともに訴外井上の前記仮処分と矛盾抵触する登記であつて、同人に対する関係では当然無効の登記であるから、右仮処分が不当として取消されないまま、仮処分権利者たる訴外井上が同債務者たる訴外河原崎との間において、右仮処分権利について調停をなし、究極的には右仮処分が取消されることなくその正当であることが確定された本件の如き場合には、仮処分権利者たる右井上は仮処分登記記入後のこれと矛盾抵触する登記について実体上これが抹消請求権を取得することは明らかである。従つて右抹消請求権あることについて十分の証明をなしうる限り、仮処分権利者たる右井上は原告の各登記につき必ずしもその承諾又はこれに対抗しうる裁判の謄本を添付せずしてこれが抹消を単独で申請しうるものと謂うべきである。蓋し、もし然らずして仮処分権利者が折角自己の権利を保全し乍らかつ、その権利が正当であることが確定されながら、右仮処分に矛盾抵触する第三者の登記が仮処分登記記入後存在するからといつてその者の承諾を得、若し得られなければ結局は訴訟を提起してこれに代る判決を得た上でないと自己の権利の登記ができないとするならば、仮処分権利者の目的は半減され、ついには制度として仮処分を設けた趣旨が全くなくなるのに反し、仮処分と矛盾抵触する登記を敢て申請するものは、仮処分権利者に対抗しえず、かつ仮処分が取消され又は仮処分権利者の承諾ありたるときに始めてこれが登記の有効であることを主張しうるものに過ぎないことを知悉して、これが登記申請をなしたと看ることができないことはないからである。而してこれを本件について看るに、訴外井上は本件土地家屋についてこれが移転請求権を保全せんとし、所謂処分禁止の仮処分の登記を記入し、後日右権利の存在が正当に前記調停調書により確定されたのであるから、この場合には、右調停調書に基づいてこれが移転登記申請をなさんとし、かつ同時に右仮処分の登記後これと矛盾抵触する原告の本件土地についての所有権移転請求権保全の仮登記及び本件土地家屋についての所有権移転登記を同時に単独で抹消申請せんとし、これが証明書類としてたんに前記調停調書正本を添付した場合でも右の権利を十分に証明しうる書面である限り、当該登記官吏が右申請を受理してその旨の登記をなしても別段原告主張の如き違法の点があるとは考えられない。原告は仮りに自己の各登記が訴外井上に対し対抗しえない登記であるとしても右対抗力の有無はこと実体上のことがらにして、登記申請を受理するにあたり、形式的審査の権限のみ有し、実質的審査をなしえない登記官吏のよく審査しうるところでないと主張する。然し訴外井上民三郎が本件各登記申請をなすにあたり、本件調停調書正本が添付されていることは当事者間争なく、かつ右謝書の記載自体より仮処分権利について双方譲歩をなし、訴外河原崎は訴外井上に対し最終的に本件土地家屋の移転登記をなす旨調停成立したものであること前段認定事実のとおりであるところ、登記官吏の形式的審査権とはその形式自体に則しその内容をあるがままに受取るべくこれが真偽の判断をなしえない程のものであり、本件調停調書の内容が右趣旨のものであることは登記官吏としてもよく形式的に理解しうることである。たゞ原告の有する各登記が訴外井上に対する関係において当然無効の登記であるとの点については実体上の判断が加えられているわけであるが、登記官吏は登記をするに当つては多かれ少かれ実体上の判断を必要とするものであり、このことと登記原因が有効かどうかにつき実質的審査をすることができないこととは別個のことがらである。従つて本件調停調書正本は原告に対する訴外井上の前記権利を十分に証明しうるに足る書面であると認めることができるから本件調停調書正本のみを添付してなした訴外井上の本件各登記申請を当該登記官吏において受理して、その旨の登記処分をなしたことは不適法の処分ということができない、尤も成立に争ない甲第二、同第三号証、乙第一号証の一、同第二、同第三号証、同第四号証の一、同第五号証によれば本件土地につき訴外井上が本件各登記申請をなすについて、これが登記原因を和解となし、かつ本件家屋につき、同じくこれが登記原因を代物弁済によるものとして、それぞれ申請をなし、当該登記官吏はその旨の登記をなしたことは認めることができるが、一方右申請にあたり添付された書面は本件調停調書に外ならずこれが記載自体よりこれを和解調書と見ることができないこと明らかであること、及び本件調停が代物弁済契約を主としてなされものと看ることができないことは本件調書上代物弁済として本件土地家屋を提供するものであることを認めさせるに足る文言は存在せず、かつ、これが本件処分禁止の仮処分異議事件についてなされた調停であること、及び金銭債権を保全するためには仮差押の手続によるべきであることなどから考えて明らかなことである。従つて当該登記官吏が本件登記原因を和解となし、又代物弁済となしたことは明らかな過誤ということができるけれども、この過誤が存在するからといつて別段登記官吏のなした本件各登記処分を取消す程の理由とはなりえないものである。

かくて当該登記官吏のなした本件各登記処分は有効のものであるから、原告がこれを違法として、これに対してなした異議の申し立てを却下した被告の本件異議却下決定は正当である。なお、原告は本件土地家屋について、原告名義の各所有権移転登記は同人名義の各所有権移転請求権保全の仮登記について、これが本登記申請としてなされたのにもかかわらず、登記官吏は誤つて通常の所有権移転登記をなしたものであると主張するが、その真否はしばらく措き、原告は本訴において別段その点についての是正を求めているものでないことは請求自体明らかであるから、その判断を省略することにする。そこで原告の本訴第一の請求は理由がないので失当として棄却すべきである。

次に原告の抹消されたその名義の登記の回復と右井上の本件登記申請の却下を求める点はその理由のないこと前示判断によつて既に明らかである。然し元来裁判所は国の司法機関として法律上一切の争訟について判断即ち裁判をなすべきものであり、一定の行政処分について一定の法規に適合するや否やの判断権限を附与されているものであるが、法令上別段の定ある場合の他、裁判所は行政庁に代つて自らその処分をしたのと同様の効果を生ずる判断をなしたり、行政庁に対し一定の処分をなすことを命じたりすることはできないというべきである。而してかかる別段の法令の定あることについて主張も立証もない本件の場合においては、原告が被告たる行政庁に対し、原告主張の如き作為を命ずべき裁判を求めることは許されないものというべきである。従つてこの点に関する被告の主張は理由があるので、原告の請求中第二の訴は不適法として却下すべきである。

以上の次第であるから原告の本訴請求中第一は棄却することにし第二は不適法の訴として却下することにし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判断する。

(裁判官 西川力一 越川純吉 山田義光)

目録〈省略〉

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